海からの風が、レースのカーテンをゆっくりと揺らしていた。
10年前、2人で訪れたシチリア。
石造りの家から、海と空が溶け合うような青を眺めた日。
潮風の香り、ゆっくりと流れる午後、オリーブの木陰で飲んだエスプレッソ
そのすべてが、旅から戻ったあとも心に焼き付いていた。
「いつか、あの家のように海を見渡せる場所で暮らしたい」
そう語り合ってから、10年。
ようやく叶ったこの家は、窓を開ければ水平線まで広がる景色が迎えてくれる


テーブルの上には、数日前に庭で咲いたひまわりを束ねて入れた花瓶。
陽射しを浴びて、ひまわりはまるで窓の向こうの夏空に向かって手を伸ばすように咲いている。

今朝、近所のおばちゃんが持ってきてくれた桃。
木のボウルに盛られたそれは、まだ葉がついたままで、瑞々しい香りが部屋中に広がっている。

窓際には、木のフレームが美しいソファ。無垢材の腕を沿わせると、ひんやりとした感触と木目の温もりが掌に伝わってくる。
その上に置かれた生成りのクッションが、昼下がりの光を受けて優しく輝いていた。
夫は、午前の現場仕事を終えて帰宅したばかり。
作業着のまま冷たい麦茶をぐいっと飲み干し、「やっぱりここの風はええな」と笑う。
利益だけを追う仕事に疲れて独立したあの日から、こうして自分のペースで働く日々を大切にしてきた。
その笑顔は、近所の子どもたちからも「おじちゃん!」と呼ばれて慕われている。

妻は、ひまわりの花びらを少し直しながら、頭の中でパン屋のことを思い描いていた。
古民家を借りて、朝は早く起きて生地をこね、焼きたての香りで小さな店を満たす
そんな日がもうすぐ始まる気がする。
物静かな彼女だけど、お客さんとパンの話になれば自然と笑顔がこぼれるのを、夫はよく知っている。

ダイニングテーブルは手触りがよく、毎日手をかけるほど艶が増していく。
編み込みの背もたれをもつチェアは、座るたびに背中を包み込むようで、食後もつい長居してしまう。

小学生の息子は、桃を頬張っている。
「甘っ!」と顔をほころばせ、手についた果汁をTシャツで拭う姿に、妻は苦笑い。
遠く港では、漁から戻った船が静かに並んでいる。
この家に越してきてまだ三ヶ月。
けれど、ひまわりと桃の香りに包まれた今日の午後は、もうずっと昔からここで暮らしてきたような安心感をくれる。
海の向こうで輝く夏の光が、これから続く家族の時間と、この家に息づく家具の物語を、そっと照らしていた。
