子どもたちがふたりとも巣立って、
私たちは家を建て替えることにした。
新しくなった家は、前よりも少しだけコンパクトで、
でも不思議と、空間にはゆとりがあった。
リビングには、ソファと、ダイニングテーブルと、椅子が4脚。
今はふたりでしか使わないけれど、
「椅子は、4つのままでいいよね」と、夫と自然に決まった。

引っ越してまだ1ヶ月。
玄関の植物はまだ小さな鉢のままで、キッチンの棚も仮置き。そんな整いきらないこの家に、久しぶりに4人揃う日がやってきた。
上の子は大学生。春からは寮生活。下の子は高校の寮に入り、親元を離れてはじめての夏。
「この家、なんかモデルルームみたいだね」なんて言いながら、ソファにごろんと寝転がる。

家具は全部、新しくした。
ソファも、ダイニングテーブルも。
でも椅子だけは、どうしても4脚にしたかった
この家でも、また4人で食卓を囲む日があると思うから。
夕方、4脚の椅子にそれぞれ腰かけて、唐揚げと冷しゃぶと枝豆と、ビールと麦茶。
新築の香りがまだ残るこの部屋で、
ふたりがそれぞれの椅子に座り、
「この椅子、座りやすいね」と笑っていた。
「あのときさ、4人で海行ったじゃん」「あー!お父さんが日焼けして倒れたやつ?」
家族だけが知ってる思い出の話に、笑い声が重なる。
まだ引っ越したばかりで、壁には何も飾ってない。
カーテンも、ちょっと仮っぽい。
でも、4つの椅子がちゃんと埋まるだけで、この部屋が“家”になる。そんな気がした。
食後、子どもたちはソファに並んでテレビを観ている。
いつのまにか、2人とも親と同じくらいの背丈になっていた。
ふと、それに気づいた奥さんが「このソファ、あんたたち大きくなっても座れると思って選んだんよ」と笑った。
昔のようにゲームをしたり、
一緒におやつを食べたりするわけじゃないけれど、
なんでもない時間が、ちゃんと“家族の時間”として流れていく。
帰ってきたふたりの横顔を見ながら、
「この家も、この家具も、選んでよかったな」と思った。
きっと次に全員が揃うのは、また少し先の話。
でもその日もきっと、この4脚の椅子が揃ったままで待ってくれている──。

必要なのは、機能じゃない。
帰ってきたときに、“居場所”があること。
ソファにも、椅子にも、
ちゃんとその人の記憶が染み込んでいくから、
この先、何年経っても、「ただいま」が自然に言える気がしている。
家を新しくしても、
家族のかたちは、変わらない。
家具は、記憶の続きを置いておく場所になる。