この家は、真新しいわけじゃない。
築18年。
床は少しだけ傷がついていて、扉の取っ手もところどころ緩んでいた。
でも、不動産サイトで何十件と見たなかで、
いちばん“気配”を感じたのが、この部屋だった。
角部屋で光の入り方がやわらかくて、
南向きの窓から、季節の移ろいがそのまま差し込んでくる。

夫はカメラマン。
フリーで働いていて、平日でも急に出張が入ったりする。
けれど、家にいるときはだいたいキッチンにいる。
道具好きで、コーヒーミルやスパイス瓶の並べ方にもうるさい。
妻は会社員。
今は在宅が多くて、窓際のテーブルが彼女の“書斎”。
昼になると子どもが小学校から帰ってきて、
まだランドセルを置く前に「今日こんなことがあったの!」と話しはじめる。

2LDKのリビングには、ちょっと大きめのダイニングテーブル。
椅子はテーブルと素材は違うけど、ちゃんと選んだ。
それぞれに「これだな」と思った瞬間がある。
それを合わせたら、たまたまバラバラだった、というだけの話。
壁には、家族で撮った写真。
でも額に入れすぎない。ラフにピンで留めて、好きなときに並べ替えられるように。
植物もいくつかある。
枯らしてしまった鉢もあるけど、それも含めてこの家の“経験値”だと思ってる。
完璧に整った暮らしよりも、
ちょっとした「失敗」や「まだ途中」な感じが、この家にはよく似合う。
最近、娘が書いた絵を冷蔵庫に貼った。
少しずつ増えていくその色のかけらが、日々の変化を知らせてくれる。
週末には、近くのパン屋でバゲットを買って、
お気に入りのまな板の上にざくざく切って並べる。
誰かが淹れたラテの香りと、子どもたちの声と、音楽と。

それぞれが違う方向を向いて過ごしていても、
“集まってる”というだけで、この部屋はちゃんと家になる。
家って、きっと、いちど完成してしまったら、
そこからはもう少しずつ“ほどけて”いくものだと思う。
だからこの家は、完成させない。
ずっと未完成のまま、暮らしのかけらを並べていく。
靴箱の上のドライフラワー、
洗面所のタイルにこぼれた小さな水跡、
ひとつしかないお気に入りのマグカップ。
そんなものたちが、日々の端っこを支えている。
ここは、わたしたちが暮らす場所。
そしてこれからも、変わっていく場所。
誰かに見せるためじゃなく、自分たちに馴染んでいく場所。
暮らしのかけらを、ひとつずつ並べながら、
この家もわたしたちも、ゆっくりと、進化していく。
